褄黒豹紋雄 ― 2012年08月26日 21時50分57秒
床屋の帰りは何故か昆虫たちがやってくる。
最近は、香料が引き寄せているのだろうと思ったりする。
撮りながら、ゆっくり近づいて行く。
このあとさらに近づいたら逃げられてしまった。
翅をゆっくり開閉しているので、裏表撮ったが、色合いがずいぶんと異なる。
今日は、横浜に出かけるつもりでいたのだが、昨晩からの机の片付けが終わらず、夕食後、なんとか、パソコンの回りだけが綺麗になった。
行方の知れないものが、忘れていたものも沢山出てきた。
ゴミも沢山出てきた。
机は、巾が2.6mくらいあって広々しているはずが、つい、物置になってしまう。
塩辛蜻蛉麦藁蜻蛉 ― 2012年08月27日 20時31分14秒
塩辛蜻蛉の雌を麦藁蜻蛉(ムギワラトンボ)という。
雄は成熟すると写真のような色になるが、成熟前は、雄と区別が付きにくい。
話が変わって蝉のことになるが、夜、外に出てみると蝉の姿が見当たらない。
捕獲用の容器を持って出ると、飼い猫のりくが家の中で、ずっと鳴いているという、
収穫なしで家にもどると、りくは意外と寛大であった。
夏休みの宿題で蝉が激減したとも思われず、単に繁殖を終えたからなのか。
庭に役目を終えた蝉が行くもあったことだし。
塩辛蜻蛉。
塩辛蜻蛉。上の写真の蜻蛉とは別の個体のようである。
麦藁蜻蛉。
麦藁蜻蛉。これも上の写真の蜻蛉とは別の個体のようである。
熱いグローブジャングル ― 2012年08月27日 21時19分41秒
猿滑り ― 2012年08月28日 20時40分42秒
猿が滑りそうな木肌というが、見たことは無いが、猿は滑らないで登れるという。
滑りそうな、という意味合いと考えればよい。
百日紅は中国名で、訓読みとしてサルスベリを当てている。
変と感じることもあるが、元々、漢字の訓読みの成り立ちを考えれば、百日紅でも良いはずである。厳密には熟字訓というのだが。
雲に浮かぶ百日紅を撮りたいと思っていたら直ぐに願いがかなった。
神田紺屋町 ― 2012年08月28日 22時32分16秒
千代田区のホームページに町名の由来が次のように書かれている。「慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に誕生したこの町には、藍染(あいぞ)めを手がける染物屋(そめものや)が軒(のき)を連ねていました。「紺屋町(こんやちょう)」という町名は、そのために生まれたとされています。」
神田紺屋町は、神田北乗物町を挟んで北部と南部に分かれている。このわけも千代田区のホームページに書かれている。「ところで現在、紺屋町には、紺屋町北部町会と、紺屋町(南)町会の二つの住民組織があります。その理由は、両町会の間に神田北乗物町(かんだきたのりものちょう)が存在し、町そのものを南北に分けているからです。こんな不可思議な町の形が生まれたのは、江戸時代の享保(きょうほう)四年(1719)のことでした。当時、神田北乗物町の南側だけに集まっていた紺屋町の一部が、幕府の命令によって北乗物町の北部に移されたのです。その跡地は、防災用の空き地となりました。災害から町を守るための幕府の施策が、このような町の配置を生み出したものと思われます。 」
写真は、8月に紺屋町に新築された某信用金庫に展示されているもので、昼間は見えにくいが夕方は照明があたる。
このレンズは開放絞りが明るいにもかかわらず、最近は絞って使ってばかりなので、これでも、思い切って絞りを開けてみた。
姫林檎便り ― 2012年08月29日 21時14分27秒
りんごの実の皮の色素には、赤色のアントシアニン、緑色のクロロフィル、黄色のキサントフィルのバランスで変わると言う。アントシアニンが生成される条件には、紫外線がよく当たる、アントシアニンのもととなるブドウ糖が十分生成される、20度以下の気温、土壌に窒素が少ないなどあって、皮が赤くなるのは、やはり涼しくなってからのようである。
赤い林檎、赤い西瓜、赤いトマト。
割ってみないと赤いかどうか分からない西瓜。
皮も実も赤いトマト。
クロロフィル優勢の姫林檎。
神田川夕景 ― 2012年08月29日 22時06分13秒
万世橋から。
万世橋で勢いは衰えず昌平橋まで短い足がのびる。
昌平橋から
上の写真と同じ場所から。
昌平橋まできたら、踵が返る・・・
去年6月3日に撮った昌平橋からの夕景。
http://hot-cat.asablo.jp/blog/2011/06/03/5895879
計算では、来年の5月16日前後に正面の聖橋の向うに見えるセンチュリータワーの左側に太陽が沈む。
写真は6月なので、少し北寄りに太陽がある。
神田川沿いにある柳森神社辺りの夕景もパチリ。
神田東松下町 ― 2012年08月31日 00時09分26秒
千代田区のホームページに町名の由来が書かれている。
「明治二年(1869)、神田松下町一丁目代地(かんだまつしたちょういっちょうめだいち)、神田紺屋町(かんだこんやちょう)一丁目代地、神田三島町(かんだみしまちょう)、神田岸町(かんだきしちょう)、神田富山町二丁目(かんだとみやまちょうにちょうめ)の一部と武家地が合併し、東松下町(ひがしまつしたちょう)となりました。松下町(まつしたちょう)(現在の内神田(うちかんだ)一~三丁目の一部)と区別するために「東」を付けたといわれています。昭和二十二年(1947)、神田を冠して町名は神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)となり、現在に至っています。」
ということで、神田西松下町はない。
TKビル、1階に東京楠堂が入っている。
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