犬蓼 ― 2012年08月11日 00時09分36秒
どこでも見かける。
イヌとは、役に立たないという意味で、犬酸漿(イヌホオズキ)
http://hot-cat.asablo.jp/blog/2012/06/16/6482089
のイヌも同様である。
会社の近くの犬蓼は、こんなに、元気に花が咲いていることはなく、はじめ、犬蓼にはみえなかった。
花弁に見えるのは、実は、萼(がく)で、花弁は無い。
黒い実が付くが、この萼で覆われ、ピンク色に見えるという。
にゃんことみーこのなつやすみ ― 2012年08月11日 20時29分28秒
8月3日から始まって、15日まで絵日記が増える趣向。
戸越銀座は懐かしい所で、以前より商店街の賑わいが増しているように思えた。
場所は、戸越駅近くのフォトカノンという写真屋さんのギャラリーで、1時間ちょっとお邪魔してしまったが、その間にもギャラリーを訪れる人が途絶えることがなかった。
15日に完結する絵日記。そういえば、にゃんことみーこに初めて会ったのは、2年前の8月29日で大鳥神社の境内だった。
絵日記は7月20日に始まり進行中。
東急池上線戸越銀座駅 ― 2012年08月11日 22時15分29秒
前回、池上線に乗ったのは2004年でそのときも緑色の電車に乗れると思っていた。
戸越銀座駅は、ホームに柵ができていたが、昔の面影が残っていた。
東京近郊のおもだった私鉄は高校のとき調べて授業で発表した覚えがある。
当時の書籍も実家のどこかに眠っていると思う。
池上線は、池上電氣鐵道として目黒、大森間で免許を取得した。池上本門寺、御岳神社、目黒不動の参拝客をはこぶと同時に沿線の開発が目的であった。
1922年10月 池上~蒲田開通、この年が開業となる。
1923年5月 池上~雪ケ谷開通
その後資金難で工事ストップ。目黒蒲田電氣鐵道に先を越され、終着駅を目黒駅から五反田駅に変更。当時五反田駅は梅林とかで目黒駅ほどは栄えてはいなかったようである。
1927年8月 桐ケ谷まで開通
1927年10月 大崎広小路まで開通
1928年6月 全線開通
当時の池上線五反田駅の高架が補修されてはいるが今に残っている。
1928年に雪ケ谷から国分寺線という支線が1.5km開業
国分寺まで延ばす計画だったらしい。他の線と競合しその後廃止になった。
1932年 五反田に駅ビルができ、白木屋がはいった。
1934年10月 目黒蒲田電気鉄道に合併 いつまでが氣とか鐵なのかわからないので・・・
1939年10月 さらに東京横浜電気鉄道に合併
1940年(昭和15年)1月に東京急行電鉄に改名
全線開通してから今年で84年になる。
池上線五反田駅はなぜ、あんなに高いところにあるのか不思議でもあるが、当時、白金を通って品川まで線路を延ばす計画があって、そのためには山手線を跨ぐ必要があったためである。
柵が付いたホーム
戸越銀座駅に近づく蒲田行き
近づきつつある五反田行き
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